宇都宮地方裁判所 昭和25年(ワ)200号 判決
原告 吉成富衛
被告 青木ハル
一、主 文
被告より原告に対する大田原区裁判所昭和二十年(ノ)調第四〇号建物收去土地明渡事件の執行力ある調停調書の正本に基く強制執行は之を許さぬ。
本件につき当裁判所が昭和二十五年八月十日に為した強制執行停止決定は之を認可する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一項及第三項と同旨の判決を求め、その請求原因として、被告より原告に対する債務名義として大田原区裁判所昭和二十年(ノ)調第四〇号建物收去土地明渡事件の執行力ある調停調書の正本が存在し、右調書には相手方(原告先代)は申立人(被告)に対し那須郡烏山町屋敷町千九百五十八番地宅地百六十五坪を昭和二十一年十二月三十一日限り該地上所在の相手方所有にかゝる亜鉛葺平家建住家一棟(建坪三十五坪)同附属物置並に井戸(建坪五坪)及杉皮葺納屋一棟(建坪三十六坪)を收去して明渡すことという記載がある。而して右宅地は原告の先代富三郎が大正六年一月五日被告の前主青木久太郎から賃借し、同地上に前掲三棟の建物を建設して居住していたのであるが、その後土地の所有者は数代変り昭和二十一年二月五日被告がその所有権を取得した。しかるところ被告はそれより前昭和二十年中大田原区裁判所に同庁昭和二十年(ノ)調第四〇号事件として建物收去土地明渡の調停を申立てた結果第一回の調停期日である同年十一月九日に相手方である富三郎は当時脳溢血を原因とする判断力皆無に均しい知覚運動麻痺等の精神状態であつたに拘らず家人に何等計ることなく右調停に応じた結果前掲調停が成立したのである。而して右建物は大正十三年二月五日に所有権保存登記が為されているのであるから、原告先代の賃借権は第三者である被告等に対抗し得べきものであつて契約解除の調停には応じないで済んだにも拘らず、前記のような精神状態と調停委員会の親切を欠いた取扱の為右地上建物の買取請求権行使の機会も与えられず移転先の予定もない儘右調停に応ずるに至つたのである。そこで右富三郎の死亡に因る家督相続に依て同建物の所有権を取得した原告は、被告に対し昭和二十五年一月十六日右建物を時価を以て買取るべき旨の意思表示をした。仮に同日右意思表示がなかつたとしても本訴状の送達に依り若は第一回口頭弁論期日である昭和二十五年九月十四日その意思表示をしたのであるから、被告が右代金の支払を為す迄は、右宅地を明渡す義務がないから前掲債務名義の執行力の排除を求める為本訴請求に及んだと陳述し、被告の主張に対し、右宅地についての賃貸借は前掲調停に依り合意解約となり、明渡期日を昭和二十年十二月三十一日と定めたのであつて、改めて一時使用の為の賃貸借契約を結んだのではないと答弁した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実中その主張のような内容の債務名義が存在すること、原告先代富三郎が本件繋争宅地をその主張の日に青木久太郎より賃借し、該地上に建物三棟を建設居住していたこと、右宅地の所有者が数代変り被告の所有となつたこと並に被告の申立に依り調停が成立し該債務名義が成立したことは認めるが、其の余の主張事実は否認する。右調停に依り宅地明渡の期限は昭和二十一年十二月三十一日と定められたのであるから、その賃貸借は一時使用の為に為されたことになり、斯の様な場合には借地法第九条に依り地上建物の買取請求権は存在しない。従て原告の本訴請求は理由がないと陳述した。<立証省略>
三、理 由
本件繋争の宅地上に原告が大正六年一月五日以来亜鉛葺平家建住家一棟(建坪三十五坪)附属物置並に井戸(建坪五坪)及杉皮葺納屋一棟(建坪三十六坪)の建物を建設して居住して居り、被告より昭和二十年中建物收去土地明渡の調停が申立られた結果同年十一月九日(第一回の調停期日)大田原区裁判所において調停が成立し、その執行力ある調停調書の正本として、原告は被告に対し昭和二十一年十二月三十一日限り右建物を收去してその敷地である本件繋争宅地を明渡すべき旨の債務名義が存在することは本件当事者間に争のない事実である。
仍て先づ斯のような場合には従前の賃貸借が借地法第九条に謂う一時使用の為借地権を設定したこと明なる場合に該当するか否の点について考えて見るに、同条に謂う一時使用の為借地権を設定したこと明なる場合とは宅地上に存在する設備の構造、種類、宅地利用の目的其の他の事情から当事者間に借地権を短期間に限り存続せしめる合意が成立したと推認し得る相当な理由がある場合をいうのである。従つて和解調停において従来の借地条件を変更し、借地期間を短縮したような場合には之に該当するものと見られる場合がある。しかしながら本件のように土地所有者である被告より即時明渡の調停を申立て約一ケ年後にその地上建物を收去して之を明渡す旨の合意が成立した場合には、当事者の意思は調停成立の時に賃貸借解約の合意が成立しその明渡の猶予期間を置いたものと解するのが相当であつて、一時使用の為の賃貸借を設定したものと見るべきではない。従つて本件の場合においては原告が地上建物の買取請求権を有するか否かは調停成立の時いゝ換えれば合意成立の時において之を決すべきである。而して借地法第四条第三項の買取請求権は一般には存続期間の満了に依て消滅した場合に限り認められるのであつて、合意に依る解除若は解約の場合には賃借人は買取請求権を抛棄したものと認められるから此の権利を有しないとされている。しかしながら斯の制度は始め宅地所有者の契約継続拒否の自由を抑制する作用を主眼としていたが、借地法第四条第一項の創設に因りこの作用を失い専ら地上に存する建物其の他の物件の無益無用な收去がもたらす国家経済上の不利益を絶とうとする社会利益の維持という概念に立脚する制度となつたのである。従つてたとい合意解約の場合であつても当事者の無知の為にこの権利を行使する機会を失い地上建物を解体收去しなければならない破目に陥るような具体的状況の存する場合には、改めて之を行使させることがよくこの制度の目的に適い且つ当事者の利害の調和を図り得ることとなるものと解する。之を本件について見るに繋争宅地は大正六年以来原告の先代富三郎において賃借しその地上に総建坪七十余坪に亘る三棟の建物を所有していることは前認定のとおりであつて、証人吉成コノ原告本人の各供述並に右証人の供述に依つて成立を認め得る甲第四号証に依れば右賃借以来地代の滞りもなく、従つて解約の理由は全く無いに拘らず昭和二十年十一月九日調停成立の当時右富三郎は正常の精神状態でなかつたので、第一回の調停期日において易々と被告の申出に応じたが、帰宅後之を苦慮して居り又当時出征不在中の原告が帰宅して始めて買取請求権を行使し得べかりしことを知つたものであることが認められ(この認定に副わない被告本人の供述は措信しない)、斯の様な事情の下においては調停成立に依り建物買取請求権を抛棄したものとは認め難いことであつて、且又前掲建物を強制的に取毀つことは現時の社会情勢上極めて不経済であるといわねばならない。それならば前述の理由に依り原告は被告に対し右建物を時価を以て買取るべきことを請求し得るものと認めるのが相当である。而して原告は被告に対し本件訴状の送達に依り之が買取の意思表示を為したものと認められるから、右送達の日である昭和二十五年八月二十二日において被告は右建物の所有権を取得し、原告は被告が右建物の時価を提供する迄は之を使用し得るのであるから被告はもはや前掲債務名義に基き右建物收去の強制執行を為すことはできない。
仍て原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、執行停止決定の認可について同法第五百四十八条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 杉山孝)